リトアニア社会民主党(LSDP)

リトアニア社会民主党(LSDP; Lietuvos socialdemokratų partija)は、リトアニアの中道左派政党。リトアニアの政党としては最も古く、結党は1896年。欧州レベルでは欧州社会党(PES)に、欧州議会では社会民主進歩同盟(S&D)に所属している。経済政策の面では、市場原理の歪みを正すことを念頭に入れる(中井 2020: 146)。

2008年から2012年まで野党だったが、2012年の選挙で第1党に返り咲き、2016年まで政権与党。2016年からは農民・緑の連合(LVŽS)との連立に参加したが、2017年に連立を離脱した。

支部数は60。党員数は約1万6759人(2020年現在)で、リトアニアで最も多い。

党史

結党からソヴェト時代まで

1896年5月1日、アンドリュス・ドマシェヴィチュス(Andrius Domaševičius)およびアルフォンサス・モラフスキス(Alfonsas Moravskis)によって設立された。設立当初は、8時間労働の実現や14〜18歳の労働時間の制限、連邦共和国の樹立などを綱領に掲げていた(早坂 2017: 97)。なお、この頃、中央集権主義の立場を採るスタニスラヴァス・トルセヴィチュス(Stanislavas Trusevičius)らは、リトアニア社会民主党とは別にリトアニア労働者連合(Lietuvos darbininkų sąjunga; LDS)を設立している。労働者連合はその後、ポーランド王国社会民主党(SDKP)と合併してポーランド王国・リトアニア社会民主党(SDKPiL)となった。

1905年、リトアニア社会民主党は日露戦争の即時中止とロシアの連邦制への再編およびリトアニア人の自治確保を主張した(Darbininkų balsas, nr.2 (1905 m. vasario mėn.); 早坂 2017: 112–113)。

1917年、リトアニア人会議に参加し、ステポナス・カイリース(Steponas Kairys)とミーコラス・ビルジシュカ(Mykolas Biržiška)がリトアニア評議会(タリーバ)議員に選出された。リトアニア評議会は1918年2月16日にリトアニアの独立を宣言した。

制憲議会(1920〜22年)では全112議席中13議席を有し、第一国会(1922〜23年)では全78議席中10議席、第二国会(1923〜26年)では全78議席中8議席を有していた。1926年に行われた国会議員選挙では全85議席中15議席を獲得し、第三国会(1926年)では農民人民連合(LVLS)などとともに連立政権を組んだ。1926年12月17日のクーデタによりアンタナス・スメトナ(Antanas Smetona)大統領を中心とする権威主義体制が確立すると、社会民主党は反体制派となる。1936年、社会民主党の活動は非合法化されたが、その後も活動は続けられた。

1940年6月、ユスタス・パレツキス(Justas Paleckis)を中心とする人民政権が発足しソヴェト化が始まる。社会民主党中央委員会は、党員のパレツキス政権への参加を禁止した。1943年、ナチ占領下で設立されたリトアニア解放最高委員会(VLIK)に社会民主党も参加、同党のカイリースがVLIK委員長を務めた。

カイリースらは1945年以降活動の場を米国に移す。カイリースは1948年から64年まで党海外代表部の代表を務め、その後64年から75年までヨナス・ヴィルカイティス(Jonas Vilkaitis)が、75年から89年まではミーコラス・プラネヴィチュス(Mykolas Pranevičius)が代表を務めた。

再結党から現在まで

1989年8月12日、リトアニア国内で再結党され、カジミエラス・アンタナヴィチュス(Kazimieras Antanavičius)が党首に就任した。

1990年2月に行われた最高会議議員選挙では132議席中9議席を獲得。

1990年10月、社会主義インターナショナルに加盟。1991年、中道左派政党として西欧型の社会民主主義を目指すことが確認された。

1992年の国会議員選挙では141議席中8議席を獲得。1996年の国会議員選挙では12議席を獲得した。

1997年末の大統領選挙では、社会民主党からヴィーテニス・ポヴィラス・アンドリュカイティス(Vytenis Povilas Andriukaitis)が出馬するも、得票率5.7%で敗れる。

1998年、社会民主党がアルギルダス・ミーコラス・ブラザウスカス(Algirdas Mykolas Brazauskas)率いる民主労働党(LDDP)との協力に乗り出すと、これに反対する党員が社会民主党を離党し、新たに「社会民主主義2000」を設立した(2003年にリトアニア社会民主連合(LKDS)に改称、2014年に活動停止)。

社会民主党は、2000年の国会議員選挙でブラザウスカス率いる選挙連合「ともに行動しよう」(Veikime kartu)に参加。この選挙連合には民主労働党や社会民主党のほかリトアニア・ロシア人連合(LRS)や新民主党(NDP)も参加した。選挙連合全体で51議席を獲得し、社会民主党はそのうち18議席を獲得した。

2001年1月、社会民主党と民主労働党が合併。党名はリトアニア社会民主党(LSDP)となったが、党員数や議席数では民主労働党のほうが優位であったため、民主労働党の名誉党首だったブラザウスカス前大統領が合併後の新党首に就任した。

2000年の国会議員選挙後は、自由連合(LLS)と新連合(NS)を中心とする中道右派連立政権が誕生していた(首相はロランダス・パクサス(Rolandas Paksas)自由連合党首)が、2001年6月にパクサスが首相を辞任。代わって社会民主党を中心とする連立政権が発足し、ブラザウスカス党首が首相に就任した。ブラザウスカス政権下でリトアニアはNATOおよびEUへの加盟を果たした。

2002年末の大統領選挙では、社会民主党からアンドリュカイティスが再び出馬するも、十分な票を獲得できず敗北。

2004年の欧州議会議員選挙で社会民主党はリトアニアに割り当てられた13議席のうち2議席を獲得。同日行われた大統領選挙では、社会民主党からチェスロヴァス・ユルシェナス(Česlovas Juršėnas)が出馬するも、5人の立候補者のうち5番目の得票率で惨敗。同年の国会議員選挙では新連合(NS)と選挙連合を組み計32議席を獲得。社会民主党はそのうち20議席を獲得した。選挙後、社会民主党、新連合、労働党(DP)農民党・新民主党連合(VNDS)の4党による連立政権が発足し、ブラザウスカスが引き続き首相を務めることとなった。2006年、ブラザウスカスが首相を辞任すると、代わって社会民主党のゲディミナス・キルキラス(Gediminas Kirkilas)が首相に就任。なお、キルキラスは2007年に社会民主党の党首に就任している。

2008年の国会議員選挙では25議席を獲得。社会民主党は下野し、代わって祖国連合(TS-LKD)を中心とする中道右派政権が発足した。

2009年、キルキラスに代わってアルギルダス・ブトケヴィチュス(Algirdas Butkevičius)が社会民主党の党首に就任。同年行われた大統領選挙では、ブトケヴィチュスが出馬するも、第1回投票でダレ・グリーバウスカイテ(Dalia Grybauskaitė)が過半数の票を獲得して圧勝したため敗北。翌月行われた欧州議会議員選挙では、リトアニアに割り当てられた12議席のうち3議席を社会民主党が獲得した。

2012年の国会議員選挙では37議席を獲得し、ブトケヴィチュスを首相とする社会民主党、労働党、秩序と正義(TT)、ポーランド人選挙活動(LLRA)4党による連立政権が発足(ポーランド人選挙活動は2014年8月に連立を離脱)。

2014年の大統領選挙では、社会民主党からジグマンタス・バルチーティス(Zigmantas Balčytis)が出馬。第1回投票で2位につけるも、決選投票で現職のグリーバウスカイテに敗れた。同時期に行われた欧州議会議員選挙で社会民主党は、リトアニアに割り当てられた11議席のうち2議席を獲得。同年11月、社会民主党のアンドリュカイティスが欧州委員に就任(保健衛生・食の安全担当、2019年まで)。

2016年の国会議員選挙では17議席を獲得。選挙後、ブトケヴィチュスは農民・緑の連合(LVŽS)を中心とする連立政権(首相:サウリュス・スクヴェルネリス(Saulius Skvernelis))に加わることを決定。しかし、この連立への参加に関しては党内から異論が出た。2016年の選挙結果を受けてブトケヴィチュスが党首を辞任することとなり、2017年、党首選が行われた。この党首選は、党史上初めて全党員による直接選挙により実施された。党首選の結果、連立参加に反対していたギンタウタス・パルツカス(Gintautas Paluckas)ヴィルニュス副市長が党首に選出された。パルツカス党首は、党が連立にとどまるべきか連立から離脱するべきかについて、全支部による投票を実施。その結果、パルツカスが主張していた連立からの離脱が支持された。これにより社会民主党は連立から離脱。この決定に反対した議員ら(ブトケヴィチュス前首相、キルキラス元首相、リナス・リンケヴィチュス(Linas Linkevičius)外相を含む)は、離党されるか除名されるかした。翌2018年、除名されたキルキラスを中心に社会民主労働党(LSDDP)が設立された。

2019年4月、パルツキスが党首に再任。同年行われた大統領選挙では、社会民主党からアンドリュカイティスが出馬するも、4.8%の得票率で惨敗。同時期に行われた欧州議会議員選挙で社会民主党は、リトアニアに割り当てられた11議席のうち2議席を獲得。

2020年の国会議員選挙で社会民主党は、比例で70議席中8議席(得票率9.3%)、小選挙区では71議席中5議席、合わせて13議席を獲得した。

2021年1月、パルツキスが党首を辞任。同年5月、ヴィリヤ・ブリンケヴィチューテ(Vilija Blinkevičiūtė)元社会保障労働相が党首に選出された。

2024年の大統領選挙で、社会民主党は候補者を擁立せず、現職のギタナス・ナウセダ(Gitanas Nausėda)候補を支持。

選挙結果

最高会議議員選挙

  • 1990年 – 9議席(全132議席中)

国会議員選挙

  • 1992年 – 8議席
  • 1996年 – 12議席
  • 2000年 – 18議席(ブラザウスカス率いる選挙連合全体では51議席)
  • 2004年 – 20議席(新連合(社会自由派)との選挙連合全体では32議席)
  • 2008年 – 25議席
  • 2012年 – 37議席
  • 2016年 – 17議席
  • 2020年 – 13議席

地方議会議員選挙

  • 1995年 – 72議席
  • 1997年 – 136議席
  • 2000年 – 104議席
  • 2002年 – 332議席
  • 2007年 – 302議席
  • 2011年 – 328議席
  • 2015年 – 359議席(うち16議席は自治体長)
  • 2019年 – 274議席(うち15議席は自治体長)

欧州議会議員選挙

  • 2004年 – 2議席(全13議席中)
  • 2009年 – 3議席(全12議席中)
  • 2014年 – 2議席(全11議席中)
  • 2019年 – 2議席(全11議席中)

歴代党首

海外代表部

  • 1948〜1964年 – ステポナス・カイリース(Steponas Kairys)
  • 1964〜1975年 – ヨナス・ヴィルカイティス(Jonas Vilkaitis)
  • 1975〜1989年 – ミーコラス・プラネヴィチュス(Mykolas Pranevičius)

再結党後

  • 1989〜1991年 – カジミエラス・アンタナヴィチュス(Kazimieras Antanavičius)
  • 1991〜1998年 – アロイーザス・サカラス(Aloyzas Sakalas)
  • 1998〜2001年 – ヴィーテニス・ポヴィラス・アンドリュカイティス(Vytenis Povilas Andriukaitis)
  • 2001〜2007年 – アルギルダス・ミーコラス・ブラザウスカス(Algirdas Mykolas Brazauskas)
  • 2007〜2009年 – ゲディミナス・キルキラス(Gediminas Kirkilas)
  • 2009〜2017年 – アルギルダス・ブトケヴィチュス(Algirdas Butkevičius)
  • 2017〜2021年 – ギンタウタス・パルツカス(Gintautas Paluckas)
  • 2021年〜 – ヴィリヤ・ブリンケヴィチューテ(Vilija Blinkevičiūtė)

党員数の推移

  • 2012年 – 17,032人
  • 2013年 – 17,972人
  • 2014年10月1日 – 21,847人
  • 2015年10月1日 – 22,012人
  • 2016年10月1日 – 21,201人
  • 2017年10月1日 – 19,162人
  • 2018年3月1日 – 18,532人
  • 2018年10月1日 – 17,677人
  • 2019年10月1日 – 16,545人
  • 2020年3月1日 – 16,601人
  • 2020年10月1日 – 16,759人
  • 2021年10月1日 – 15,205人
  • 2022年3月1日 – 14,709人
  • 2022年10月1日 – 14,539人
  • 2023年3月1日 – 14,344人
  • 2023年10月1日 – 14,366人
  • 2024年3月1日 – 14,059人

出典・参考文献