労働党(DP; Darbo partija)は、2003年に設立されたリトアニアの政党。欧州レベルでは欧州民主党(EDP)(2004〜2012年)や欧州自由民主同盟党(ALDE Party)(2012〜2021年)に所属していた。年金支給額および最低賃金の引き上げや減税など、ポピュリズム的政策を掲げる。
支部数は54(うち国外はロンドン、シカゴ、マドリードの3支部)、党員数は1万人以上(2020年現在)。
支持基盤とする地域
2020年の国会議員選挙で労働党は、三大都市(ヴィルニュス、カウナス、クライペダ)よりもそれ以外の自治体で得票率を伸ばした。
下の地図を見ると、労働党の創立者であり2020年現在党首を務めるヴィクトル・ウスパスキフが地盤とする中部ケダイネイ周辺で特に得票率が高かったことがわかる。他方、ヴィルニュスやカウナスでは得票率は比較的低かった。
なお、2020年国会議員選挙・比例での各党の得票率については別の記事を参照のこと。
党史
2003年10月、ビジネスマンのヴィクトル・ウスパスキフ(Viktor Uspaskich)によって設立された。
2004年の欧州議会議員選挙では、リトアニアに割り当てられた13議席中5議席を獲得。得票率は28.3%で他党を圧倒した。
同年の国会議員選挙では141議席中39議席を獲得し第1党となった。この劇的勝利は、ウスパスキフ党首のビジネスマンとしての手腕が評価されたためと指摘される(中井 2020: 147)。選挙後、社会民主党(LSDP)、新連合(NS)、農民党・新民主党連合(VNDS)と連立を組む(アルギルダス・ミーコラス・ブラザウスカス(Algirdas Mykolas Brazauskas)首相)。同年12月、欧州民主党(EDP)に加盟し、ウスパスキフが欧州民主党の副党首に就任。
2006年5月、ヴィクトラス・ムンティアナス(Viktoras Muntianas)労働党副党首が国会議長に就任(2008年4月まで)。同月、労働党は連立政権から離脱。同年、ウスパスキフの方針に異を唱えるムンティアナスらが労働党を離党、リトアニア市民連合 (LPS) に合流する形で、新たに市民民主党(PDP)を結党した。ムンティアナスはPDPの党首に就任。
その後、検察が労働党の会計処理を問題視し捜査を始めたことから、党員数が減少するなど党の人気は急落(ウスパスキフらはその後罰金刑に処される)。
2008年の国会議員選挙では10議席を獲得。
2009年の大統領選挙に労働党からロレタ・グラウジニエネ(Loreta Graužinienė)が立候補するも、結果はふるわず惨敗。翌月行われた欧州議会議員選挙では、リトアニアに割り当てられた12議席のうち1議席を獲得。党設立者のウスパスキフが欧州議会議員となった。
2011年、新連合が労働党に吸収される。
2012年5月、労働党は欧州民主党(EDP)を離れて欧州自由民主同盟党(ALDE Party)に加盟。同年10月の国会議員選挙では29議席を獲得し、選挙後、社会民主党、秩序と正義(TT)と連立政権を組む。労働党のヴィーダス・ゲドヴィラス(Vydas Gedvilas)が国会議長に就任。
2013年、リトアニア労働者党と合併、法人上は別の政党となり、党の正式名称は労働党(労働者)(Darbo partija (leiboristai))となった。ヴィータウタス・ガプシース(Vytautas Gapšys)が党首に就任。その後、党の会計処理問題でヴィルニュス地方裁判所が党指導者らに有罪判決を下し、ガプシースも罰金刑に処される。同年、労働党はキリスト教党(KP)と合併し、さらに別の法人となった。党名は労働党(DP)に戻る。グラウジニエネが党首に就任。グラウジニエネは同年ゲドヴィラスに代わって国会議長に就任した(2016年まで)。
2014年の大統領選挙で、労働党からは、長年新連合を率いていたアルトゥーラス・パウラウスカス(Artūras Paulauskas)元国会議長が出馬するも、敗北。同時期に行われた欧州議会議員選挙で労働党は、リトアニアに割り当てられた11議席のうち1議席を獲得。ウスパスキフが引き続き欧州議会議員を務める。
2015年12月、党創立者のウスパスキフ欧州議会議員が労働党を離党。
2016年の国会議員選挙では、比例で4.7%の得票率にとどまり議席を獲得できず。小選挙区2議席の獲得にとどまった(テルシェイ(第40)選挙区のヴァレンティナス・ブカウスカス(Valentinas Bukauskas)およびモレタイ゠シルヴィントス(第54)選挙区のペトラス・チンバラス(Petras Čimbaras))。選挙後、グラウジニエネが離党を発表。労働党は野党となった。
2017年、パウラウスカスが労働党を離党。なお、パウラウスカスは2020年、自由と正義(LT)に創立者の一人として加わる。同年7月、労働党創立者のウスパスキフが復党。その後ウスパスキフとピンスクヴィエネ党首の対立の末、ピンスクヴィエテが党首を辞任。同年11月、ジヴィレ・ピンスクヴィエネ(Živilė Pinskuvienė)が離党。なお、ピンスクヴィエネは翌18年に社会民主労働党(LSDDP)に入党した。
2018年、ウスパスキフが党首に復帰。
2019年の欧州議会議員選挙で労働党は、リトアニアに割り当てられた11議席のうち1議席を獲得。ウスパスキフ党首が3期連続で欧州議会議員となった。ウスパスキフは欧州議会で「欧州刷新」(Renew Europe)会派に所属する。
2020年の国会議員選挙では、比例で9議席(得票率9.4%)、小選挙区で1議席(テルシェイ(第40)選挙区のブカウスカス)、計10議席を獲得。
2021年1月、欧州議会議員であるウスパスキフ党首のLGBTに対する差別的発言が問題視され、ウスパスキフは欧州議会の「欧州刷新」(Renew Europe)会派から除名された。翌月、労働党は欧州自由民主同盟党(ALDE Party)から離脱。
選挙結果
国会議員選挙
- 2004年 – 39議席
- 2008年 – 10議席
- 2012年 – 29議席
- 2016年 – 2議席
- 2020年 – 10議席
地方議会議員選挙
- 2007年 – 111議席
- 2011年 – 165議席
- 2015年 – 147議席(うち2議席は自治体長)
- 2019年 – 62議席(うち1議席は自治体長)
欧州議会議員選挙
- 2004年 – 5議席(全13議席中)
- 2009年 – 1議席(全12議席中)
- 2014年 – 1議席(全11議席中)
- 2019年 – 1議席(全11議席中)
歴代党首
合併前
- 2003〜2006年 – ヴィクトル・ウスパスキフ(Viktor Uspaskich)
- 2006〜2007年 – ケーストゥティス・ダウクシース(Kęstutis Daukšys)
- 2007〜2013年 – ヴィクトル・ウスパスキフ(Viktor Uspaskich)
労働者党合併後
- 2013年 – ヴィータウタス・ガプシース(Vytautas Gapšys)
キリスト教党(KP)合併後
- 2013〜2015年 – ロレタ・グラウジニエネ(Loreta Graužinienė)
- 2015〜2016年 – ヴァレンティナス・マズロニス(Valentinas Mazuronis)
- 2016〜2017年 – ジヴィレ・ピンスクヴィエネ(Živilė Pinskuvienė)
- 2017〜2018年 – シャルーナス・ビルティス(Šarūnas Birutis)
- 2018年〜 – ヴィクトル・ウスパスキフ(Viktor Uspaskich)
党員数の推移
合併前
- 2012年 – 13,919人
- 2013年 – 16,329人
労働者党合併後
- 2013年 – 18,724人
キリスト教党(KP)合併後
- 2013年 – 25,326人
- 2014年10月1日 – 23,305人
- 2015年10月1日 – 22,681人
- 2016年10月1日 – 20,659人
- 2017年10月1日 – 15,966人
- 2018年3月1日 – 14,459人
- 2018年10月1日 – 12,517人
- 2019年10月1日 – 11,495人
- 2020年3月1日 – 11,047人
- 2020年10月1日 – 10,770人
- 2021年10月1日 – 10,239人
- 2022年3月1日 – 10,141人
- 2022年10月1日 – 9,754人
- 2023年3月1日 – 9,640人
- 2023年10月1日 – 9,357人
- 2024年3月1日 – 9,144人
出典・参考文献
- 中井遼(2020)「選挙と政党」櫻井映子編『リトアニアを知るための60章』明石書店、144〜148ページ。
- „Politinių organizacijų narių sąrašai [政治団体構成員一覧]“ – Lietuvos Respublikos teisingumo ministerija [リトアニア共和国法務省ウェブサイト]
- „Darbo partija [労働党]“ – Visuotinė lietuvių enciklopedija [リトアニア百科事典]