リトアニア・ポーランド人選挙活動゠キリスト教家族連合(LLRA-KSŠ; Lietuvos lenkų rinkimų akcija–Krikščioniškų šeimų sąjunga)は、1995年に結党されたリトアニアの政党。ポーランド系マイノリティの利益を代表することを目的とし、ヴィルニュス地方(特にポーランド系住民の多いヴィルニュス地区やシャルチニンカイ地区)などで活動を行っている。欧州レベルでは、ポーランドの政党「法と公正」(PiS)と同じく、欧州保守改革党(ECR-P)(欧州議会では欧州保守改革グループ(ECR))に所属している。
党員数は約2,100人(2020年現在)。
政策・支持基盤とする地域
キリスト教的価値観や伝統的家族観を尊重する立場をとっており、LGBTQの権利擁護は「ジェンダー・イデオロギー」であるとして批判。また、マイノリティの教育機関の問題などを重視するほか、身分証明書の氏名欄などでリトアニア語では用いられないアルファベット(Wなど)の使用を認めるよう求めている。また、高齢者が主な支持者であることから、年金政策なども重視している。
ポーランド系およびロシア語系マイノリティの利益を代表することを目的としていることから、ポーランド系住民の多いヴィルニュス地方を基盤としている。また、ロシア語系住民の多い北東部のヴィサギナスでも支持を集めている。しかし、全国的にはほとんど支持されておらず、実質的には地域政党となっている。
なお、2020年国会議員選挙・比例での各党の得票率については別の記事を参照のこと。
党史
独立回復前の1989年、ヴィルニュスで社会運動組織としてリトアニア・ポーランド人連合(LLS; Lietuvos lenkų sąjunga)が設立される。ポーランド人マイノリティの文化や教育に関わる問題に取り組むことを目的とする。リトアニアが独立を回復すると、当初はヴィルニュス地方での自治獲得を目指した。1992年の国会議員選挙では、比例での得票率が2.1%にとどまったが、この年の選挙では比例における阻止条項は少数民族団体には適用されなかったため、2議席を獲得することができた。ポーランド人連合は小選挙区でも2議席を獲得し、比例と合わせて4議席を獲得した。
1994年、政党として活動するため、ポーランド人連合のうち政治に関わる部門が切り離され、リトアニア・ポーランド人選挙活動(LLRA; Lietuvos lenkų rinkimų akcija; AWPL; Akcja Wyborcza Polaków na Litwie)として結党。1989年から1991年までポーランド人連合の代表を務めていたヤン・シェンキェヴィチ(Jan Senkevič; Jan Sienkiewicz)が初代党首に就任。
1996年の国会議員選挙では、比例で3.0%の得票率にとどまり議席を獲得できず。小選挙区では1議席を獲得(ガブリエル・ヤン・ミンツェヴィチ(Gabriel Jan Mincevič; Gabriel Jan Mincewicz)(シルヴィントス゠ヴィルニュス(第55)選挙区))。なお、この選挙では、4選挙区で投票率が規定(40%)に達しなかったため選挙が無効となった(ナウヨイ・ヴィルネ(第10)、ヴィルニュス゠シャルチニンカイ(第56)、ヴィルニュス゠トラカイ(第57)、トラカイ(第58)各選挙区)。
1997年3月23日、前年の国会議員選挙で確定しなかった小選挙区で再度選挙が行われ、ヴィルニュス゠シャルチニンカイ(第56)選挙区でヤン・シェンキェヴィチ党首が当選。ヴィルニュス゠トラカイ(第57)選挙区では、のちにポーランド人選挙活動の党首となるヴァルデマル・トマシェフスキ(Valdemar Tomaševski; Waldemar Tomaszewski)が56.6%の得票率で他の候補者を圧倒するも、投票率は36.4%で規定に達しなかったため、再び無効となる。同選挙区では1998年3月22日に3度目の選挙が行われ、トマシェフスキの得票率は69.7%に達したが、投票率は28.2%で規定に達しなかったため、三度無効となった。1999年3月21日、同選挙区で4度目の選挙が行われ、ポーランド人選挙活動からはヘンリク・ヤンコフスキ(Henrik Jankovski; Henryk Jankowski)が出馬。得票率は60.1%で他の候補者に差をつけたものの、投票率はわずか19.1%にとどまり、4度目の選挙も無効となった。
1999年、シェンキェヴィチに代わってトマシェフスキが党首に選出される。
2000年の国会議員選挙でポーランド人選挙活動は、比例では得票率2.0%にとどまり議席を獲得できず。小選挙区では2議席を獲得した(シルヴィントス゠ヴィルニュス(第55)選挙区から出馬したミンツェヴィチとヴィルニュス゠シャルチニンカイ(第56)選挙区から出馬したトマシェフスキ党首)。
2004年6月13日に行われた欧州議会議員選挙では議席を獲得できず。同年10月の国会議員選挙では、比例で3.8%の得票率にとどまり議席を獲得できず。小選挙区では2議席を獲得した((シルヴィントス゠ヴィルニュス(第55)選挙区から出馬したレオカディヤ・ポチコフスカ(Leokadija Počikovska; Leokadia Poczykowska)ヴィルニュス地区自治体長とヴィルニュス゠シャルチニンカイ(第56)選挙区から出馬したトマシェフスキ党首)。
2008年の国会議員選挙では、比例では得票率4.8%にとどまり議席を獲得できず。小選挙区では3議席を獲得した(シルヴィントス゠ヴィルニュス(第55)選挙区から出馬したミハウ・マツキェヴィチ(Michal Mackevič; Michał Mackiewicz)ヴィルニュス市議会議員、ヴィルニュス゠トラカイ(第57)選挙区から出馬したヤロスワフ・ナルキェヴィチ(Jaroslav Narkevič; Jarosław Narkiewicz)、そしてヴィルニュス゠シャルチニンカイ(第56)選挙区から出馬したトマシェフスキ党首)。
2009年6月7日に行われた欧州議会議員選挙では、8.2%の得票率で、リトアニアに割り当てられた12議席のうち1議席を獲得。トマシェフスキ党首が欧州議会議員となった。
2011年2月27日に行われた地方議会議員選挙でポーランド人選挙活動は、ロシア人同盟(RA)と選挙連合「トマシェフスキ・ブロック」を組む(これ以降、地方議会議員選挙および欧州議会議員選挙では毎回ロシア人同盟と選挙連合を組むこととなる)。この選挙では、トマシェフスキ・ブロックとして計61議席を獲得。加えて、ポーランド人選挙活動単独でも4議席を獲得した。
2012年の国会議員選挙では、比例で5.8%の得票率で阻止条項の5%を超え、5議席を獲得。小選挙区で2議席を獲得し、合わせて7議席を獲得した。選挙後、ブトケヴィチュス社会民主党(LSDP)党首を首相とする4党連立政権(社会民主党、労働党(DP)、秩序と正義(TT)、ポーランド人選挙活動)を構成。
2014年5月25日に行われた欧州議会議員選挙でポーランド人選挙活動は、ロシア人同盟と選挙連合「トマシェフスキ・ブロック」を組む。トマシェフスキ・ブロックの得票率は7.6%で、1議席を獲得。トマシェフスキが引き続き欧州議会議員を務める。
同年7月、ダレ・グリーバウスカイテ(Dalia Grybauskaitė)大統領が2期目の就任式を迎えるにあたり、副大臣の交代などが行われる。トマシェフスキ党首はレナタ・ツィタツカ(Renata Cytacka)エネルギー副大臣の再任を求めたが、社会民主党所属のアルギルダス・ブトケヴィチュス(Algirdas Butkevičius)首相はツィタツカの能力不足を理由にこれを拒否。この政治対立をきっかけに、ポーランド人選挙活動は8月、連立を離脱。
2015年3月1日に行われた地方議会議員選挙でポーランド人選挙活動は、ロシア人同盟と選挙連合「トマシェフスキ・ブロック」を組む。トマシェフスキ・ブロックは計64議席(うち2議席は自治体長)を獲得。さらにポーランド人選挙活動単独でも1議席を獲得した。
2016年5月7日に行われた党大会で、党名をリトアニア・ポーランド人選挙活動゠キリスト教家族連合(LLRA-KSŠ; Lietuvos lenkų rinkimų akcija–Krikščioniškų šeimų sąjunga; AWPL-ZChR; Akcja Wyborcza Polaków na Litwie – Związek Chrześcijańskich Rodzin)に改めることが決定。改称に関してトマシェフスキ党首は、キリスト教民主主義を標榜するためとした。新しい党のロゴには、中央に男女の夫婦と男の子と女の子の4人家族が手を繋ぐ様子が描かれ、伝統的な家族観を尊重する旨が視覚的に示されており、その家族の絵の周りにはイエス・キリストのシンボルである魚のマーク(イクトゥス)が描かれ、キリスト教的価値観を重視する姿勢も示されている。
同年行われた国会議員選挙では、比例で5.5%の得票率で阻止条項の5%を超え、5議席を獲得。小選挙区で3議席を獲得し、合わせて8議席を獲得した。
2019年3月3日に行われた地方議会議員選挙でポーランド人選挙活動は、ロシア人同盟と選挙連合「トマシェフスキ・ブロック」を組む。トマシェフスキ・ブロックは、計56議席を獲得した。
同年5月26日に行われた欧州議会議員選挙では、前回同様ポーランド人選挙活動とロシア人同盟が選挙連合「トマシェフスキ・ブロック」を組む。トマシェフスキ・ブロックの得票率は5.2%で、1議席を獲得。トマシェフスキが3期連続で欧州議会議員を務める。
同年7月、農民・緑の連合(LVŽS)、社会民主労働党(LSDDP)、秩序と正義による連立政権に加わることで合意。翌月、ナルキェヴィチが運輸通信相に、リタ・タマシュニエネ(Rita Tamašunienė)が内相にそれぞれ就任。
2020年10月に行われた国会議員選挙では、比例での得票率が4.8%にとどまり、議席の獲得ならず。小選挙区では3議席を獲得した。
2024年の欧州議会議員選挙でポーランド人選挙活動は、リトアニアに割り当てられた11議席のうち1議席を獲得。トマシェフスキ党首が欧州議員として再選された。
選挙結果
国会議員選挙
リトアニア・ポーランド人連合(LLS)
- 1992年 – 4議席
リトアニア・ポーランド人選挙活動(LLRA)
- 1996年 – 1議席(1997年、1議席追加)
- 2000年 – 2議席
- 2004年 – 2議席
- 2008年 – 3議席
- 2012年 – 8議席
リトアニア・ポーランド人選挙活動゠キリスト教家族連合(LLRA-KSŠ)
- 2016年 – 8議席
- 2020年 – 3議席
地方議会議員選挙
リトアニア・ポーランド人選挙活動(LLRA)
- 1995年 – 69議席
- 1997年 – 59議席
- 2000年 – 53議席
- 2002年 – 39議席
- 2007年 – 53議席
- 2011年 – ロシア人同盟(RA)との選挙連合で61議席、党単独で4議席
- 2015年 – ロシア人同盟(RA)との選挙連合で64議席(うち2議席は自治体長)、党単独で1議席
リトアニア・ポーランド人選挙活動゠キリスト教家族連合(LLRA-KSŠ)
- 2019年 – ロシア人同盟(RA)との選挙連合で56議席(うち2議席は自治体長)
欧州議会議員選挙
リトアニア・ポーランド人選挙活動(LLRA)
- 2004年 – 0議席(全13議席中)
- 2009年 – 1議席(全12議席中)
- 2014年 – ロシア人同盟(RA)との選挙連合全体で1議席(全11議席中)
リトアニア・ポーランド人選挙活動゠キリスト教家族連合(LLRA-KSŠ)
- 2019年 – ロシア人同盟(RA)との選挙連合全体で1議席(全11議席中)
- 2024年 – 1議席(全11議席中)
歴代党首
- 1995〜1999年 – ヤン・シェンキェヴィチ(Jan Senkevič; Jan Sienkiewicz)
- 1999年〜 – ヴァルデマル・トマシェフスキ(Valdemar Tomaševski; Waldemar Tomaszewski)
党員数の推移
- 2012年 – 1,280人
- 2013年 – 1,284人
- 2014年10月1日 – 1,520人
- 2015年10月1日 – 2,173人
- 2016年10月1日 – 2,179人
- 2017年10月1日 – 2,181人
- 2018年3月1日 – 2,173人
- 2018年10月1日 – 2,157人
- 2019年10月1日 – 2,129人
- 2020年3月1日 – 2,121人
- 2020年10月1日 – 2,120人
- 2021年10月1日 – 2,102人
- 2022年3月1日 – 2,097人
- 2022年10月1日 – 2,086人
- 2023年3月1日 – 2,093人
- 2023年10月1日 – 2,072人
- 2024年3月1日 – 2,106人
出典・参考文献
- 中井遼(2020)「選挙と政党」櫻井映子編『リトアニアを知るための60章』明石書店、144〜148ページ。
- „Politinių organizacijų narių sąrašai [政治団体構成員一覧]“ – Lietuvos Respublikos teisingumo ministerija [リトアニア共和国法務省ウェブサイト]
- „Lietuvos lenkų sąjunga [リトアニア・ポーランド人連合]“ – Visuotinė lietuvių enciklopedija [リトアニア百科事典]
- „Lietuvos lenkų rinkimų akcija–Krikščioniškų šeimų sąjunga [リトアニア・ポーランド人選挙活動゠キリスト教家族連合]“ – Visuotinė lietuvių enciklopedija [リトアニア百科事典]